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(2)たかが年賀状、されど年賀状


(2)たかが年賀状、されど年賀状
心込めた年賀状を…※2003(H15).2.2日記

 今年受信した約270通の年賀状の必要事項の照合も済んだ。残るは各人別の保存袋
に組み入れて、五十音順の収納ケースに分納整理すれば作業完了である。
 毎年の事ながら、この作業は結構手間を食い面倒だ。しかし殆ど滅多に会えない知
己からの年1便だし、住所や電話番号など間違いないか確認しながら、その一人一人
の近況や昔を懐かしみつつ進められるこの作業が、本当は実に待ちどうしい。

 よく「年賀状なんて、無意味だ」とか、「年賀状なんて、面倒だ」と言う人も居
る。だが、その年賀状を楽しみにしている私のような人間も居ることを、そうした方々も
忘れないでほしいものだ。

 たとえ生涯唯一度の出会いであっても、私はその出会いを大切にしたい。確か芭蕉
の『奥の細道』の書き出しだったと思うが、「人生、行きかう人は皆旅人なり…」と
いう一節がある。人間人生半ばを過ぎたと思う頃から、次第にこうした先人の残して
くれた言葉が次第に重みを増して感じられてくるものだ。
 限りある人生で単に行き会う人は星の数ほど居ても、その中で個人的な付き合いと
して永く年賀状だけでも便りしあおういう知己となると、せいぜい数百人迄というの
が普通の市井人だろう。だから私は、単なる行きずりの知己と思える場合でも、原則
として出来るだけ年賀状での挨拶は欠かさないことにしている。
 また忘れていた場合も、出来るだけ七日正月以前に届くよう、地位や老若男女区別
無く答礼することにしているし、翌年からも先方から年賀状を戴ける間は元旦に届く
よう出し続ける事にしている。

 勿論、そう思うようになったのも人生半ばを過ぎた頃からで、茶道で言う「一期一
会」の言葉の重みを感じ、生涯唯一度の出会いを大切にし、出来れば本当に得がたい
友として育てたいためである。 

 さてこの楽天広場での奇遇を得て、今日の私の公開日記をご覧いただいた貴方! 貴
方は、太宰治の小説「走れメロス」の主人公同士のように信じあえる友をお持ちです
か…。
 実は古希を迎えた私ながら、残念な事に正直そう確信持てる友に未だ出会えないまま
です。…でもそう思えばこそ、一期一会を大切にと毎年心を込め、オリジナル絵柄に
私達夫婦の近況を細々盛り込んだ賀状を出し続けているのです。






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